元戦隊ヒーローの俳優が中心となり集まったメンバーたちが、スーパー銭湯からスタートした異色のムード歌謡グループ「純烈」。
彼らの歩んできた道は、まさに“波乱に満ちたキャリア”そのものです。
夢をあきらめず、スーパー銭湯の舞台へ立ち続ける。
今回はそんな純烈のリアルなサクセスストーリーを追います。
純烈結成は波乱に満ちたキャリアのスタート

2007年、リーダーの酒井一圭さんが中心となって、ムード歌謡グループ「純烈」が結成されました。
きっかけは、酒井一圭さんが映画撮影中の事故で骨折し、入院した際に見た夢。
夢に現れたのは、昭和の名コーラスグループ「内山田洋とクールファイブ」。
「自分もこんなグループを作りたい」――この強烈なビジョンから、純烈の物語が始まります。
退院後、酒井一圭さんはその夢を現実にするため、自らの足で動き出します。
メンバー1人ひとりに直接声をかけ、集めたのは、元戦隊ヒーロー俳優、ロックバンド出身者、そして芸能界未経験者という異色の面々。
共通していたのは、“もう一度夢を追いかけたい”という強い想いでした。
しかし、結成後すぐに脚光を浴びたわけではありません。
結成から2010年にメジャーデビューするまで、彼らはボイストレーニングや下積み中心の3年間が続きます。
焦りや不安を抱えながらも、「親孝行」「紅白出場」「47都道府県制覇」という3つの目標だけは、胸にしっかりと掲げて。
こうして静かに幕を開けた“純烈”という挑戦は、後に大きなドラマへとつながっていくのです。
「夢は紅白!親孝行!」をキャッチフレーズに、2010年に『涙の銀座線』でユニバーサルミュージックからメジャーデビューしたが、最初は全く売れなかった。
出典:Uta-Net
スーパー銭湯を舞台に、ファンと築いた“地道な絆”

2010年に『涙の銀座線』でメジャーデビューを果たしたのですが、ここでもすぐには脚光を浴びません。
デビュー後もライブの主戦場はナイトクラブやキャバレーなどで、下積み期間が続きます。
自分たちで機材を運び、ステージを組み立て、音響まで担当する“何でも屋スタイル”で、地道な営業活動を続けていました。
そんな中、2014年に転機が訪れます。
リーダー酒井一圭さんが結成のきっかけとなる夢で見た、あの「内山田洋とクールファイブ」の前川清さんが、大阪・新歌舞伎座の座長公演で彼らを紹介してくれたのです。
「ムード歌謡を引き継いでいるやつらがいる」と、舞台上で語られた純烈の名が、静かに世の中に広がり始めました。
さらに翌2015年、運命を大きく動かす出会いが待っていました。
あるナイトクラブでの営業中、客としてたまたま来ていたテリー伊藤さんの目に留まったのです。
「面白い奴らがいる!」と感じたテリー伊藤さんは、自身が出演するテレビやラジオに純烈を出演させてくれました。
そのテレビ放送を偶然見ていたスーパー銭湯・健康センターのイベントブッキング会社の担当者が、純烈に声をかけたのです。
「スーパー銭湯でライブ、やってみないか?」
この一言が、純烈の次なるステージを切り拓くきっかけとなります。
こうして始まったのが、湯乃泉グループの3店舗――『相模健康センター』『東名厚木健康センター』『草加健康センター』での定期ライブ。
地道にステージを重ねるうちに人気が広がり、やがて彼らは「スーパー銭湯アイドル」として、ワイドショーや情報番組でも注目される存在となっていきました。
ファン1人ひとりに直接CDを手渡し、名前を覚え、会話を交わす。
華やかではなくても、その距離の近さこそが、純烈の魅力の原点です。
「母に紅白を見せたい」
その想いを胸に、湯けむりの向こうにある夢のステージを追い続けた彼ら。
ラッキーに見える偶然が重なって訪れたチャンス。
それをしっかり掴み、地道な活動を続けて生かしたからこそ、今の純烈があります。
純烈の日々の努力があってこそ、現在の人気があるのです。
仲間が去っても夢は終わらない。純烈に訪れた“試練の時代”

地道な営業活動が徐々に実を結び、テレビや新聞にも取り上げられるようになった純烈。
スーパー銭湯アイドルとしての注目度も高まり、少しずつ夢に近づいている。
そんな矢先、彼らは次々と「別れ」という現実に直面します。
2016年、初期メンバーの林田達也さんが脱退。
理由は「親の介護のため」。
大きな決断だったものの、円満な卒業でした。
しかし、2019年にはグループに大きな衝撃が走ります。
当時のメンバー・友井雄亮さんが、週刊誌によって過去の問題行動を報じられ、翌日に脱退と芸能界引退を発表。
ファンにとっても、メンバーにとっても、重く深い出来事となりました。
このとき、リーダーの酒井一圭さんは会見でこう語っています。
「夢を壊してしまってごめんなさい。でも、ここで止まったら、もっと誰かを傷つけてしまう。だから、僕らは前を向いて歌い続けます。」
その言葉の通り、純烈は歩みを止めませんでした。
一人減っても、また一人を迎え、ファンとともに“あたらしい純烈”をつくり続けたのです。
2022年には、小田井涼平さんが「年齢的な体力の限界」を理由に卒業。
2023年からは新メンバー・岩永洋昭さんを迎えて4人組となり、新しいステージへ。
そして2025年3月、岩永さんも「家族との時間を大切にしたい」と卒業を発表。
2025年4月から純烈は酒井一圭さん、白川裕二郎さん、後上翔太さんの3人で活動中。
仲間が去っても、夢は続いていく。
3人編成となった純烈ですが、変わらないのは“夢をあきらめない”という姿勢でした。
メンバーの入れ替わりもまた、人生と同じく「変化しながら進むグループ」の証。
純烈の“試練の時代”は、彼らをより強く、しなやかにしていったのです。
夢がスクリーンに広がった“映画主演”

仲間の脱退という試練を経ても、純烈は立ち止まりませんでした。
変わっていくことを恐れず、新たなスタイルとメンバーで、前を向き続けた彼ら。
そして迎えたのが、「映画主演」という新たなステージでした。
2021年、純烈はついに主演映画『スーパー戦闘 純烈ジャー』を公開。
“銭湯アイドル×特撮ヒーロー”というユニークな世界観の中で、メンバー全員が「純グリーン」「純レッド」「純バイオレット」などオリジナルヒーローとして変身。
歌って、戦って、笑って泣ける――ファンも納得の“純烈ワールド”がスクリーンに展開されました。
この映画は、彼らのキャリアや個性、そして「戦隊出身者」ならではの背景を最大限に生かした作品。
これまでの地道な活動と、長年築いてきたファンとの絆があったからこそ実現した夢のような企画でした。
そして翌2022年には続編『スーパー戦闘 純烈ジャー 追い焚き☆御免』も公開。
“スーパー銭湯から映画館へ”という飛躍は、ファンのみならず業界からも注目を集めました。
さらにこの頃、紅白歌合戦には通算6回の出場を果たし、ムード歌謡界の代表としての地位を確立。
まさに、スーパー銭湯アイドルから“国民的グループ”へと進化を遂げていったのです。
ただ売れるだけじゃない。
キャリアの中でどんな壁にぶつかっても、“楽しませること”をあきらめない。
純烈らしいエンタメ魂が、この映画自体にしっかりと刻まれていたのです。
『スーパー戦闘 純烈ジャー』として映画初主演「夢かなった」メンバー3人戦隊もの出演経験アリ!
まとめ
純烈の歩みは、まぎれもなく“波乱に満ちたサクセスストーリー”です。
スーパー銭湯の大広間から始まり、テレビ、映画、全国ツアー、そして紅白へ。
彼らのキャリアは、下積みの苦労、契約解除の苦境、地道な営業、そして紅白常連への躍進という、波乱と栄光が交錯する軌跡そのもの。
メンバーの卒脱や再編を乗り越えながら、特撮映画・全国ツアーという新たな地平を切り拓いてきた純烈。
これからも“親孝行”を胸に、多様な活動で歌謡界のスタイルチェンジを牽引し続けることでしょう。
ファンとともに、笑顔と歌声で彩られた“夢のステージ”を繰り広げる今後の純烈にも注目していきたいですね。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました♪

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